大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和47年(う)1265号 判決 1972年9月20日

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮一〇月に処する。

原審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人横山唯志の控訴趣意書に記載されたとおりであるからこれを引用する。

控訴趣意第一点について。

論旨は要するに、原判決は「当時被告人が心神喪失であつたことを認めるに足る証拠はなく、ただ心神耗弱であつたとの疑いはあるが、かりにそうだとしても、酒を飲んでそのような状態にある者をも刑を減ずることなく処罰するというのが後示各罰条の立法趣旨と見るべきであるから、結局心神耗弱の主張自体失当である。」と判示している。しかし被告人は、当時ビールの飲用と合わせて薬物である鎮静剤アトラキシンを多量に服用し、心神喪失ないし心神耗弱の状態にあつたから、本件につき刑法第三九条の適用を否定した原判決は、事実を誤認し、法令の解釈適用を誤つたものであるというのである。

しかして原判決は、弁護人の心神喪失ないし心神耗弱の主張を排斥するに際し、所論のような判断を示しており、これによれば、原判決は、道路交通法第一一七条の二第一号および刑法第二一一条前段の各規定の解釈上、酒酔運転およびこれに起因する業務上過失傷害の各罪については、刑法第三九条第二項の適用を否定したものと解されるのである。

そこで右判断の当否につき考察すると、刑罰を科する前提となる責任能力は、行為時にこれを必要とするというのが現行刑法の立前である。刑法第八条は、他の法令が刑法総則と異なる特別規定を設けることを認めており、右特別規定は、必ずしも明文によることは要しないと解されるが、その場合に、当該規定が刑法総則の適用を排除する趣旨であると解釈するについては、慎重な態度が必要であり、単に当該規定の趣旨とか取締の必要性などから、安易にこれを肯定することは、罪刑法定主義の原則に反する結果となり、許されないものというべきである。

以上の観点に立ち道路交通法第一一七条の二第一号にいわゆる酒酔運転の罪について更めて検討すると、同罪は、酒に酔つた状態すなわちアルコールの影響により正常な運転ができないおそれがある状態において車両等を運転する行為を処罰するものであり、とくに自動車については、飲酒による酩酊の程度が高くなれば、それだけ事故発生の危険が増大し、処罰の必要性も大きくなるわけであるから、飲酒酩酊の結果心神喪失ないし心神耗弱の状態において酒酔運転の行為に及んだ者が、刑法第三九条の適用により処罰を免れ、またはその刑が減軽されることは、一見酒酔運転の罪の法意と矛盾する感がないでもない。しかし右にいわゆる「アルコールの影響により正常な運転ができないおそれがある状態」は、自動車の運転が多分に技術的操作を必要とするものであることにかんがみ、責任能力に影響のない場合が大部分であると解されるが、右のような状態が、飲酒酩酊による心神喪失または心神耗弱すなわち是非善悪を弁別し、その弁別にしたがつて行動する能力を全く欠き、またはその能力が著しく減弱した状態にある者の運転行為の場合をも当然に包含し、無条件に全面的な罪責が追及されるとは考えられず、道路交通法第一一七条の二第一号が、このような責任無能力者または限定責任能力者の運転行為をも正常な責任能力を有する者の運転行為と一律に処罰する趣旨であるとは、にわかに断定し難いばかりでなく、もしも刑法第三九条の適用を否定すれば、飲酒当時には自動車の運転を全く予想せず、飲酒直後初めて自動車運転の意思を生じこれを実行した者が、その間において酩酊のため心神喪失または心神耗弱の状態に陥つた場合にも、正常な責任能力を有する者と同様に処罰されることになるわけであつて、この点につき、所論も引用する最高裁判所判例(昭和四三年二月二七日第三小法廷決定、刑集二二巻二号六七頁参照)は、「酒酔運転の行為当時に飲酒酩酊により心神耗弱の状態にあつたとしても、飲酒の際酒酔運転の意思が認められる場合には、刑法第三九条第二項を適用して刑の減軽をすべきではない。」と判示し、右判例は、反対解釈として、飲酒の際酒酔運転の意思が認められない場合には、刑法第三九条第二項の適用を肯定するものと解されるから、酒酔運転の罪について同条項の適用を排除する見解は、右判例の趣旨に反するおそれがあるものといわなければならない。これを要するに、同罪について刑法第三九条第二項の適用を否定する見解は、必ずしも十分な根拠を有するとは認め難いから、採用できないものであり、このことは酒酔運転に起因する業務上過失傷害罪についても同様と解すべきである。しからばこれと異なる見解に基づき、弁護人の心神耗弱の主張自体失当としてこれを斥けた原審の判断は、法令の解釈適用を誤つたものというべきであるが、後述のように、本件当時被告人は心神耗弱の状態にあつたとは認められないから、結局右誤りはいまだ判決に影響を及ぼすことが明らかであるとは認められない。

次に記録を調査すると、原判決挙示の証拠、とくに荒谷幸三、粂川昇二および被告人の各捜査官調書、被告人の原審供述ならびに「酒酔鑑識カード」によれば、被告人は当時愛人との別れ話に思い悩み、睡眠剤アトラキシンを服用していたが、本件当日の昭和四五年一二月二八日午前一〇時ころ目覚めるとすぐアトラキシン一〇錠とビール一本余を飲んで再び眠り、午後二時ころ起きた後愛人に電話で面会を求めて拒絶されたにもかかわらず、同女と会うため千代田区神田一つ橋に赴く目的で、午後五時少し前ころ原判示自動車を運転して肩書の自宅を出たが、間もなく本件衝突事故を惹起したこと、被告人はアトラキシンとビールを飲んだ当時は、所論のとおり自動車の運転を予期していなかつたこと、被告人は衝突直前には意識がもうろうとして前方を見ているつもりでも半分眠つている状態で、道路左端に駐車していた相手車両を事前に発見することができず、ブレーキを踏む間もなくこれと衝突したこと、衝突直後被告人は自車から降り、倒れている被害者伊藤豊美を抱えようとして目撃者荒谷幸三に止められ、また同人にいわれて附近の家で救急車を呼ぶため電話をかけようとしたこと、被告人の自宅から事故現場までの距離は約七〇〇メートルで、その間狭い複雑な道路状況であるが、被告人は途中一時停止の道路標識附近では一時停止していること、さらに事故の約二〇分後立川警察署において行なわれた酒酔鑑識の結果によれば、被告人のアルコール保有量は、呼気一リットルにつき0.25ミリグラム以上であつたことがいずれも認められる。以上のような諸事情のほか右酒酔鑑識の際における被告人の応答内容および被告人の捜査官に対する自白内容、例えば自宅を出る際自動車の鍵がなかつたので一生懸命にさがし、見つけたとの点、時速五〇キロメートルで運転したとの点等を合わせ考えると、本件運転開始当時はもちろん、運転中も被告人が心神喪失の状態になかつたことが明らかであるとともに、心神耗弱の状態にあつたとも認め難く、所論援用の各証拠によつても右判断を左右するに足りない。しからば、被告人は心神喪失の状態にあつたとは認められないとした原審の判断は、結局これを是認すべきであり、また心神耗弱の状態にあつたとの弁護人の主張は排斥を免れないのである。

論旨はいずれも理由がない。

同第二点について。

論旨は要するに、原判決は本件事故により被害者伊藤豊美の受けた傷害について、「加療約六か月間を要する頭部挫創打撲、左大腿骨開放性骨折等(その後医師の処置が適切でなかつたためか遂に左大腿部から切断)の傷害」と認定しているが、右切断は、最初に入院し、かつ手当を受けた岸中外科病院の医師の処置に適切を欠くものがあつたため、患部が化膿し遂に切断を余儀なくされたものであり、本件事故により右伊藤が受けた傷害と左大腿部切断との間には因果関係の中断があるのに、これを認めなかつた原判決は、事実を誤認したものであるというのである。

そこで記録を調査すると<証拠>によれば、被害者伊藤豊美は本件事故直後岸中外科病院に入院、治療を受け、昭和四六年一月六日には「頭部挫創打撲傷・脳震盪症・左股左大腿左膝挫滅創・左陰のう部切創・左坐骨々折・左大腿骨開放骨折・左膝関節開放脱臼・左下腿神経麻痺・外傷性ショックにより昭和四五年一二月二八日より向う六か月間の安静加療が必要であると診断されたが、左足の化膿が異常に進行してきたので、関係者の希望により昭和四六年一月一二日立川病院に転院したこと、同病院では患者の左足首以下は壊疽の状態で切断手術が必要であると診断した結果、同月二六日左大腿部切断の手術がなされ、同年七月三日現在退院可能の状態にあつたことを認めることができる。しかし記録上右切断手術が必要となつたのは、最初患者が入院した岸中外科病院の医師の処置が不適切であつたことによると断定できる証拠はなく、かえつて立川病院の医師木住野喜義は原審証人として、患者が最初から同病院に入院したとしても、左下腿の壊死は救うことはできなかつたであろうし、本件の場合切断手術はほとんど不可避と思われた旨供述していることにてらすと、右切断手術が必要となつたのは、岸中病院の医師の処置が適切を欠いたためであることを前提として、伊藤豊美の受けた傷害と左大腿部切断との間には因果関係の中断がある旨の所論は採用できない。しからば伊藤豊美が本件事故により「加療約六か月間を要する頭部挫創打撲傷、左大腿骨開放性骨折等(その後医師の処置が適切でなかつたためか遂に左大腿部から切断)の傷害」を受けた旨認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな誤認があるということはできない。論旨は理由がない。

しかし職権により調査すると、原判決は罪となるべき事実として、被告人は

第一、酒気を帯び、更に精神安定剤「アトラキシン」を多量に服用し、これが併用によるアルコールおよび薬物の影響により正常な運転ができないおそれがある状態で、昭和四五年一二月二八日午後四時五五分ころ、東京都立川市柴崎町三丁目一八番二二号先道路において、普通乗用自動車を運転し

第二、自動車運転の業務に従事していたものであるところ、右日時場所において、右自動車を運転し、同市日活通り方面から旧奥多摩街道方面に向い時速約五〇キロメートルで進行中、運転開始前に飲んだ酒の酔いや服用した薬物の作用のため、意識がもうろうとなり、眠けを覚え、前方注視が困難になつて確実な運転は期し難い状態になつていたのであるから、直ちに運転を中止して事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、右速度のまま漫然運転を継続進行した過失により、おりから前方道路の左端に駐車していた普通貨物自動車に全く気付かず、同車の右後部付近に自車左前部付近を追突させ、その衝撃により同駐車車両の右後部および右側面付近にいた伊藤豊美(当二六年)、森本貞子(当四二年)、原百合子(当四〇年)の三名をそれぞれ前方路上に転倒させ、よつて右伊藤および森本に対しそれぞれ加療約六か月間を要する、右原に対し加療約三週間を要する各傷害を負わせた

旨認定した上、判示第一の各所為(道路交通法第一一七条の二第一号、第六五条第一項および同法第一一八条第一項第二号、第六六条にそれぞれ該当するが、右は一所為数法であるから、刑法第五四条第一項前段、第一〇条により重い酒気帯び運転の罪の刑により処断)および判示第二の各所為(いずれも刑法第二一一条前段、罰金等臨時措置法第二条、第三条に該当するが右は一所為数法であるから、刑法第五四条第一項前段、第一〇条により重いと認められる伊藤豊美に対する罪の刑により処断)を併合罪として、いずれも懲役刑を選択の上、刑法第四五条前段、第四七条、第一〇条により重い伊藤豊美に対する罪の刑をもつて処断していることは、判文上明らかである。

しかし原判決の認定した本件過失は、被告人が運転開始前に飲んだ酒の酔いと、服用した薬物(精神安定剤アトラキシン)の作用のために、意識がもうろうとなり、眠気を覚え、前方注視が困難になつて確実な運転が期し難い状態になつていたので、直ちに運転を中止して事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務を怠つたことにあるから、判示第一の各所為は、判示第二の過失の内容をなし、両者は一所為数法の関係にあるものと解するのが相当である。しからば両者を併合罪とした原判決は、法令の適用を誤つたものであり、右誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れない。

よつて弁護人のその余の論旨(量刑不当)に対する判断を省略し、刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八〇条により原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書により本件につき更に次のとおり判決する。

原判決の認定した事実(弁護人の心神喪失および心神耗弱の主張が採用できないことは、前述のとおりである。)に法令を適用すると、判示第一の所為中、酒酔運転の点は、道路交通法第一一七条の二第一号、第六五条第一項に、薬物であるアトラキシンを服用して運転した点は昭和四六年法律第九八号による改正前の同法第一一八条第一項第二号、第六六条に、判示第二の各所為はいずれも刑法第二一一条前段、罰金等臨時措置法第三条(ただし犯罪後刑の変更があつたので、刑法第六条、第一〇条により昭和四七年法律第六一号による改正前の軽い行為時法を適用)に各該当するが、判示第一および第二の各所為は、それぞれ一所為数法であるとともに、両者もまた一所為数法の関係にあるから、刑法第五四条第一項前段、第一〇条により刑および犯情の最も重い伊藤豊美に対する業務上過失傷害罪の刑をもつて処断することとし、所定刑中禁錮刑を選択し、記録および当審における事実取調の結果により認められる各犯行の罪質、動機、過失は大きく被害者三名の傷害の程度も相当に重いこと、慰藉料等として被害者伊藤豊美に対しては約九〇〇万円を、同原百合子に対しては一五万円を支払つてそれぞれ円満に示談が成立したこと(ただし、原との示談成立は原判決後である。)のほか、被告人の交通事犯の前科、年令など諸般の情状を考慮して、被告人を禁錮一〇月に処し、なお刑事訴訟法第一八一条第一項本文により原審における訴訟費用は全部被告人に負担させることとして、主文のとおり判決する。

(石田一郎 菅間英男 柳原嘉藤)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例